稲生二平(Noppe)のページ


お引っ越し

「木楽莊」から「二平庵」

 

このホームページを毎週更新して四年間。大木の年輪を見ればわかりますが、四年間なんてほんの数ミリの巾でしかありません。とはいえ、その短い間に限定本も自費出版し、趣味の木工展示会「木楽展」を三回開催しました。私達三人もそれなりに一生懸命やってきたつもりです。木の暖かさ・豊かさ、木工の楽しさが、多少なりとも感じ取っていただければ光栄です。

今後も各自、木工は続けていくと思いますが、グループの活動としては、とりあえずここで一度ピリオドを打つことにいたしました。今までの皆様のおつき合いまことにありがとうございました。

と、ご挨拶はここまでとし、少し個人的なお話しを。

このホームページが終わったとて、各人の趣味嗜好は、かわりません。各自のペースで今後も続けていくと思います。

私の場合は、(いままで、気が付いた方も居ると思いますが、)個人のホームページを運営しています。「木楽」ホームページでは、基本的には「木」をコンセプトとして扱ってきましたが、私のホームページでは木工生活、音楽生活、その他の雑多なことに関して幅広く掲載しています。そのコンセプトは、「何でも屋」? いえいえ、「Noppe的ライフスタイル」のご紹介です。

いわば、共同住宅「木楽莊」から一人暮らしの「二平庵」への引っ越しです。

気ままな一人暮らし、と言うこともあり、更新するのも定期的ではなく気ままなタイミングになると思います。まあ、時々覗いてみてください。通称「Noppeページ」のアクセスは

https://www.inoo2hei.com

 現在、私は壊れた12弦ギターの復元に挑戦しています。(写真)

 

さあ、無事に直すことが出来るのかーー。作業の進行状況は今後の「Noppeページ」で。


西日よけ障子

 

年末と言う訳ではないが、小さな障子貼りをやった。棄てられない症候群の物置には、有象無象な必要もないものが押し込んである。今回は、そんな中から雪見障子(注※)の桟だけを利用した。障子本体はどこかに行ってしまったが、この雪見障子だけは、何かに使えそうだと、とっておいた。

我が一坪書斎は、必要な物は椅子に座ったままで手がとどく。とても便利で気に入っているが、この季節、毎日午後3時前後から約一時間は西日がつよく、パソコンの画面などはとても見ていられない。いままでは、その時間帯だけ仕方なく薄いベニヤを立てて西日を避けていたものの、とても暗くなってしまう。そこで思いついたのが今回のアイデアだ。

障子貼り、何とも懐かしい。小さな頃は暮れの年中行事だった。私は、古い障子紙を剥がす手伝いを、遊び半分でやったものだ。

あれから約70年、舐めてかかったら、けっこう難しかった。

張り終えて糊が乾くのを待って、水をスプレーした。しばらくしていると、皺がなくなりピンとはった障子はとても美しい。

いままで、西日時はベニヤで暗かったデスクも、すばらしい明るさが確保出来るようになった。障子一枚のおかげで、なんとなくF.R.ライトやJ.ナカシマの設計した書斎に居るような気分になる。(と、勝手に思いあがっている)

今更ながら、我が家に日本間がないのが悔やまれる。

 

※雪見障子(ゆきみしょうじ)とは、上半分が障子、下半分にガラスと可動式の障子がはめ込まれた建具。下半分の障子は上に持ち上げることができ、部屋にいながら季節を感じられる。冬に庭に積もる雪などを室内から楽しめるように作られたため、雪見障子と呼ばれている。

 


ランチョンマット盆

 

自然が織りなす素敵な木目を見ていると、心が癒やされる。

今となっては、いつどこで買ったかわからない板きれが何枚もある。そんな中から特に木目が美しい板でランチョンマットにもなるようなお盆を二枚拵(こしら)えた。

素材は多分メープルとタモだ。まず、二枚の厚さを同じ9㎜まで削った。メープルは自然の木口をわずかに残し、二枚をほぼ同じ寸法にカット、寸法はなんとなく決めた。カットしてから測ったら巾394㎜、奥行き250㎜だ。もしやと思い計算したら、偶然ながら黄金分割比に近かった。

 

この二枚の板、もう手元において何年も経っているので、反ったり、あばれたりすることはないと思うが、念のために反り止めも兼ねて、支えの木を配し、持ちあげるときに指先にひっかかりやすいような溝も掘ってみた。縁に使った木は、以前、外階段を作る時に余った南洋材のアマゾンジャラだ。

仕上げは特にせず、Old English社製のレモンオイルで磨き上げた。時々このオイルで磨いていれば綺麗に保てると思う。

 

今までは、晩酌でも食事でも、台所から食卓まで食器や料理をプラスチックのお盆にのせて運び、ランチョンマットの上に載せ替えていた。食後はその逆をやっていたが、この盆をつかえば、そのままランチョンマットとしても使えそうだ。

 

今のところ二枚しか作っていないので、まずは「差しつ差されつ」と行きたいものだがーーー


テレビで見た木工に感激

 

最近のテレビはつまらない、と言うのは爺になった証拠出そうだが、 12/4(月)の夜8時、偶然にも素晴らしい(私にとって)番組を見た。テレビ東京の「日本に行きたい応援団」という番組だ。今回はアメリカの片田舎で和風の箪笥(たんす)や仏壇を作っているロジャースという木工職人の話。彼は日本に来たことがないのに、全く自己流で日本式の家具作りをしている。道具も全て日本製。そんな彼が初来日、桐箪笥で有名な新潟県加茂市に滞在し、190時間を掛けて、気密性に優れた究極の匠の技を学ぶ、という内容だ。

この番組でいろんな事を知った。桐の木目の使い方、機密性を出すためには抽斗と本体の隙間が髪の毛1本(約0.08㎜)になるまで調整する。仕上げは、まず「宇作り」という、茅(かや)の根を束ねたモノでこすり、柔らかい層を削り取り美しさを引き出す。それから砥の粉で塗装をし、拭き取った跡に蝋を塗り込んでツヤをだす。また別に「焼き桐塗装」という、バーナーで均一に焼いてから磨いて仕上げる方法など興味深かった。

このロジャースという男、なかなかの職人で、これらの技を見事にこなして小さな箪笥を作った(写真)。すごいアメリカ人がいるものだ。

見ている自分も、大いに触発された。以前からデスク脇の自作の抽斗が気にくわない。箪笥ではないが、いつの日か時間をかけて作り直そう、という気にさせられた。

この番組、TVerでまだ見られるので、興味のあるかたはご覧下さい。

<蛇足>

私は放送局に勤務していた関係で、いつも番組の裏を気にしながらテレビを見る癖がついている。この番組の企画は素晴らしいモノの、現場の撮影のスタッフ、編集など、大勢の大変な苦労が想像できる。良い物を紹介してくれてありがとう。オツカレサマ。

 

 


 

「クリスマス木工」を振り返る

 

季節はめぐり、今年もクリスマスがやってくる。この3年間、毎年いまごろはクリスマスがらみのDIYを楽しんで来た。今回はそれらを振り返ってみる。

 

2020年に作ったのは、三角のフレームに各種の松ボックリを配したツリーだ。松ボックリを一つずつボンドで貼り付けて行くのに手間取ったのが懐かしい。テッペンは星のかわりにヒトデを使った。我ながら、なかなかのアイデアだった。

 

 

2021年はサンタクロースの人形を作った。別個に作った胴体と頭のカーブがなかなか合わずに苦労した想い出がある。

 

そして去年2022年は、シンプルなサンタを沢山作って、いろいろな方にプレゼントした。みなさん喜んでいただけたようだ。今、我が家には2体が残るだけになった。

 

そして、今年はーー。

もしかすると、急に思い立ってなにか作るかも知れないが、今のところ良いアイデアが思いつかない。

 

クリスマス、古い人に言わせれば耶蘇教(やそきょう)のお祭りだが、宗教とは関係なく、なんとなく楽しい気分になるものだ。

町にはクリスマスソングがながれ、きらびやかなイルミネーションがまたたく。

素敵なご婦人でも横に居れば、もっと楽しいのだろうがーー。

  ないものねだりの爺のクリスマスが、まもなくやってくる。


私の「辰(たつ)」

 

誰も見たことのない想像上の動物、十二支の中でただ一つの実存しない動物、「辰」は来年の干支だ。

この「辰」、一昔前までは我々にも馴染みがあった。「辰の刻」といえば午前八時頃、「辰の方角」とは東南東のことだ。今は、特殊な職業以外では、ほとんど使われることのない字になった。

 

毎年、年末が近づくと来年の干支の人形を作る。

実存しない動物をどのように表現するのか。

まずいつものように、ネットで「木工の辰」、と画像検索してみる。お寺や、神輿(みこし)にあるような複雑な彫刻が多い。なかには「たつの落とし子」もある。

更に「竜」、「麒麟」も検索する。多くの画像からイメージを絞りこみデザインしてみた。画用紙に書いてみる。なんとなく違うなあ、と気に入らないところを消しゴムで消しては、また書きなおす。そうこうしてうちに、全て直線で作ることを思い立った。

次は「色」を決める。何故か沢山の画像の中に緑色を使ったものが多いので、私もそれにならうことにした。さらにウロコ模様を油性のサインペンで描いた。腹などの内側はグレー、口の中は真っ赤にした。

いつも迷うのが「目」である。今回は手芸店で直径4㎜の赤い木製のビーズを見つけ、それを「目」として使うことにした。目は、その位置、色で表情がガラリと変わる。今回も、なんとなく愛らしい「辰」になってしまった。

16㎝、高さ10㎝、厚さ18㎜の「私の辰」の完成である。

毎年末、干支の人形をつくり、今回が8年目、あと4年、私が81歳の年末で十二支が全て完成する。それまでは頑張らねば、と妙に元気が湧いてくる「辰」なのである。


黄金比コンパス

 

何故、こんな役にも立たないモノを作ったのだろう。広げれば、その比率が黄金比になる、ただそれだけのコンパスである。

「安定した美感を与える」とか、「調和の取れた美しさがある」と言われている黄金比。縦と横の比率が約11.618の比率のことだ。

例を挙げれば「ミロのヴィーナス」は、その全身をへその部分で上下に分けたときの下半身と上半身の比、あるいは全身と下半身の比が黄金比になっている。

レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」の顔の横と縦の比が黄金比になっている。

葛飾北斎の「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」にも黄金比が使用されていると言われている。

建築物ではエジプトのピラミッドの高さと底辺の長さの比、パリの凱旋門の中央開口部と全体の高さの比、建築家アントニオ・ガウディのサグラダ・ファミリア、唐招提寺金堂や金閣寺、ニューヨークの国際連合ビルなどに黄金比が使われているらしい。

ダ・ビンチも、北斎も、ガウディも黄金比なんて考えていなかったが、美しいモノを作った結果、黄金比に近かったということだろう。

身近なモノでは日本の標準的な名刺のサイズ(55×91mm)は縦横比が1.654となっている。クレジットカードやキャッシュカードのサイズは53.98×85.60mmでその縦横比1.585で黄金比に近い。たばこの箱のレギュラーサイズは、55×88mmでその縦横比は1.6となり、黄金比が使用されている。

 

写真の黄金比コンパスの先端は、厚さ3㎜の板に直径2㎜の穴をあけて針を刺してある。この病的な製作作業が妙にハマルのだ。

しかし、結果は名刺やクレジットカードにあててみて、「ウン、そうだね」、と黄金比を確認するしか役立たないコンパスなのである。


懐かしのアルバム その①

ベビーベッド

 

私も普通の爺のように「昔を懐かしむ」、という年寄りになってしまったようだ。アルバムを開いたら懐かしい写真が沢山出てきた。

写真は初孫の為に作ったベビーベッドだ。写真と一緒に貼られていた手書きの設計図に、20031226日と記されている。

初孫がうまれたのが翌年の2月なので、ずいぶん早くに設計し、きっと正月休みを利用して作ったのだろう。はずかしながら、爺バカぶりがうかがわれる。

設計図によれば巾127㎝、奥行き77㎝、ベッドまでの高さが50㎝、まわりの囲いの高さは90㎝とある。

ベビーベッドにしては大きなものだろう。下にはオムツなどを入れるよう、大きな抽斗が二つある。素材は、ホームセンターで売っているSPF(ホワイトウッド)だ。

平塚市美術館で開催した木工展示会「木軸展」(後の「木楽展」)にも出品した。

その後2008年に二人目の孫、さらに姪の娘が生まれたときもこのベッドが役に立った。三人の赤ん坊が育った懐かしのベビーベッド、その後分解して廃棄したモノの、一部分だけ未だにガレージのなかに眠っている。その飴色に変化した木肌を見る度に当時のことが思い出される。


稲生二平 イノオ ニヘイ(ニックネームNoppe1946年、藤沢市生まれ

小さな頃からモノ作りが好きだった。三宅氏の誘いで2002年に平塚市美術館で開催された第二回「木軸展」へ参加したのがきっかけで本格的に木工の虜になる。家具、玩具などを中心に製作する一方、自宅では小屋やウッドデッキなどの大物も手がける。

当ホームページ、編集責任者