三宅健一のページ


旬な数字とHP

 

いろいろあった今年も晦日に、少し景気のいい話をしたいと思います。

今年もいい事よくない出来事と多様な世情でしたが、時事政治など難しいことはさて置き自分的にはプロ野球快挙の一年だったと思うのです。野球じゃなく今はサッカーだよって言う人も、日本人の活躍に賛辞を贈らない人はいないでしょう。

 振り返って春はWBC(ワールド・ベースボール・クラシック/World Baseball Classic)で日本が優勝しました。秋11月には阪神タイガースが優勝し、38年ぶりに日本一になりました。アンチ巨人のわたくしにとっては阪神万歳、六甲おろし最高です。

 そして12月、「278年」となるわけです。前回HPの編集後記でNが触れていましたが、大谷翔平選手がドジャースへ移籍報酬額1015億円(7億ドル、145/ドル換算)がいかにドでかい金額かを表す数字で、毎日100万円使っても278年かかるということです。正に先日、日本中を駆け巡った旬な数字と言うべきでしょう。

指数で計算すると1.01511÷(106x365)=278 となります。想像を絶する景気のいい話です。

 参考にわが鎌倉市の年間予算が約1100(一般会計+特別会計)でほぼ同額です。ちなみに横浜市は4兆円弱、東京は別格の約15兆円です。そして来年度の国家予算は約114兆円とか、いずれも途方もない数字です。

でかい話は面白いけど小市民なわたくしにとっては、好きなアイスをポケットの1000円札で買うか、ないしセブンのnanacoカードで買うか迷うのが現実、且つ相応で性に合っています。チビた話しですが「それ以下・それなり・それ以上」で特に不満もないとすれば、来年もまた良しとしたいと思うばかりです。そして実感「人生は現品限り」だから今を大事にしたいものです。

 

今日がHP最終回、くしくもぴったり大晦日です。わたくしも木工のきっかけとなった30余年も前に木工作した、今も毎日使っているダイニングテーブルの写真掲載を以て脱稿といたします。振り返るとこのHPシリーズは200余回ですが、前身のHP掲載から数えると500回を超えています。ここまで続いたのは原稿を書く以上に、毎週のアップロード作業でNの継続があってのことです。まあよく続けてくれたと感謝、脱帽です。この数字も賞するに値する旬な数と言えると思います。

これから皆様と今までのように週一会うこともなくなりますが一言、今までもこれからも“ありがとうございます”

わたくしは毎年の決まりごと、第九を聞いての年越しです。

そして新年『一陽来復』、春近しです。

 

           令和5年1231日KM


廃屋

 

何度か書いた富士河口湖の小屋である。

土地は30年も前に手に入れたが、小屋は2011(平成23)にキットを購入して自分で組立てもので、屋根を取り付けるときNに手伝ってもらったのを思いだす。富士山の裾野の厳しい気候の中、12年経つと板がはずれたり腐ったり、痛みが目立つようになった、全くメンテ補修しないのだから、当然の経年変化である。廃屋一歩手前である。

ここは「山梨県鳴沢村富士山xxx番」と住所に富士山の名のついた唯一の場所である。建設後2か月に1回ほどの割合で立ち寄って何かするわけでもなし、昼食をして近所の温泉(温泉といってもスーパー銭湯だが)につかるのが常だった。

夏、この別荘地の管理会社から定期的に送られてくる広報の「土地の売り・買い」の記事が目に入った。そろそろと考えていたこともあり、処分することに、つまり売却手続きをしたわけである。売却というより廃屋処分と言った方がいい。

 

ここの思い出はいくつもあるけど、6年ほど前に相棒お二人とカミさんと一緒に行ったのもその一つである。当ページの下段に、その時のルートマップをポンチ絵で描いたが、小屋から田貫湖北側に位置する小田貫湿原(おだぬきしつげん)へ行った。ここは富士山麓唯一の湿原で低湿地にかかった木道橋を歩く、大きくはないし名もあまり知られていないこともあってか人もいない、行ってみるのも一興である。加えるに田貫湖からの富士山の眺望は最高である。

 

ちなみに小屋がなくなればもう行くこともなくなるけど、随分と楽しませてくれた。身分に合った小さな小さな遊び時間、ちょっとした小屋付きアウトドアーの楽しみだった。そしてこの廃屋がわたくしにとっての断捨離、捨て去る序章になるのだと思う。


色、いろいろ

 

 色の話をしようと思う。まずクリスマスの色、別に決まった色があるわけではないから何色だってかまわないけど、一般的にまた昔から認めるところでは赤・緑・白である。理屈からは、赤はキリストの流した血、緑は愛、白は純粋純白を表すのだそうだ。

これに異論はないけど、赤は柊(ひいらぎ)の実、緑はもみの木、白は雪の色と言ったほうが身近な感じがする。いずれにしろクリスマスの三原色である。

我が家の飾り棚のクリスマスのセットにメンテをした。このサンタはろうそくを手にクリスマスソングを奏で上半身を左右に揺らして踊る構造のものだ。でも古くて作動しないので電源部を取り換えの大手術をしたら動きだした。ランプはアルコールか灯油を燃やす明かりのものだ。東日本大震災の計画停電時に買ったものだが、側がクロムメッキでクリスマスに合わないので赤に塗装した。その赤に加え緑の乗せる板を作った。今年はこの小さな飾りでメリークリスマスとする。

色と言えば正月の色は紅白と金。日本人の好きな紅白とゴールドが新年初日に似合いの目出度い配色で、これも正月の定番となる。

 ついでに古来日本の色は何かというと(まあ色々な解釈と意見があると思うが)、平安の色彩美が紺丹緑紫(こん・たん・りょく・し)と言われている。紺は明るさを持った濃い青、丹は少し朱がかった赤、緑は明るく少しくすんだ緑、紫はしっとりと格調高いむらさきである。そしてここに仏像の金が加わって極楽浄土を表現するのだそうである。分からない人は京都宇治の平等院鳳凰堂に行くことだ、この極楽色が紺丹緑紫であることを教えてくれるだろう。

 


サンタと煙突

 

 我が家の小屋には以前煙突があった。といってもサンタがやって来る12月だけ屋根に付けた、それも段ボール製で着脱できるものだった。それが数年前の強風で吹っ飛ばされ、見る影もなく破壊されてしまったのである。

 そのあとは煙突なしのなんとなく画竜点睛を欠いたく淋しい12月の小屋風景になっていた。時に相棒から「煙突付けなよ」と言われていたのであるが、実は孫も大きくなりサンタが煙突からやって来ると話す年齢でなくなったこともあって、新たに作る気にならなかったのである。

 

先日テレビに映った煙突小屋を目にしたとき、もしかしたら子供たちにだけでなく、自分自身に「サンタが新たないい年をプレゼント」してくれるのではないかと、急に思い気付いたのだ。

 確かに煙突がなければ何も持ってこられない。それではと、まさか段ボールではなく今度は常設の木製のしっかりしたものを作ろうと思い到ったわけである。

 

どうせなら風雨に最低でも5年は耐えるものを作ろうとポンチ絵設計する。と言ってもどうせ遊び、見かけが最も重要となる。そこでレンガの古い煙突らしさをペンキ書きした。レンガは赤褐色だけど小屋に合わせ色は黒にし、目地線は手書きとして手積みの雰囲気を出した。まあ少し個性を持たせたつもりである。漆喰ではないけど城で言う“なまこ壁”の色合いでもある。

 このレンガの割付が結構難しく割付の図を描いた。もともといい加減な外形寸法なので普通のレンガのタテ/ヨコに合わないのだが、雰囲気だけでもサンタに気に入ってもらえればいいのである。

 

 

 これで用意万端だ、“甲辰(きのえたつ)という年”である前向きの新年を持ってきてくれるサンタクロースを待つばかりである。


ペンキでリファイン

             

この2、3日でやった手作業についてである。

普段、書類を入れるのは革製鞄だが、書類以外の不定形のものや量的に入らないときは厚手のキャンバス製のバッグを使っている。ただ15年前に買ったもので布地の汚れやシミが目立つようになってちょっと見た目が野暮ったい。でも糸のほつれや下げベルトの縫い付けなどは傷んでいないので、まだ十分使えそうだ。

 ずっと眺めていて、何となく気に入っていて捨てる気にならない。では洗濯機で洗う、あるいはしみ抜きや汚れ落としする?は気に入らない    、そこで「塗装しては」と思いついたのである。木工品の仕上げじゃないけど、布にペンキ塗りなんてまずしないけど、逆に面白そうなのでやってみよと思ったのである。

 色はいつものブリティッシュ・レーシング・グリーンに決まり。キャンバス製なのでツヤは出ないし。凸凹でうまく塗れるかどうかわからない。まず目立たない底で試し塗りしてみると案の定、液体の塗料は地にさっとしみ込んでしまって全く伸びない。ちなみに塗料は調合の水性である。

 2度3度と塗りを繰り返し、ムラをなくす。この写真が仕上がったバッグである。塗る前の茶系キャンバスの写真を撮らなかったのが惜しまれる。2日ほど自然乾燥した。自分で言うにもなんだけど、このリファイン&リフレッシュで数年は使えそうである。

味をしめたわけではないが、木以外で塗装して蘇るものはないかと、いくら何でも布地の服にペンキするわけにはいかない。

この辺でやめておくのが得策、見方を変えれば省エネ・省資源、小さなな小さな世のためである、とは大袈裟か?


 

ワンコイン クラシック

 

久しぶりにいつも新潟で泊まるビジネスホテルの近くにある喫茶店に立ち寄った。今流

の洒落たカフェではなく、喫茶店というのが似合う店でのモーニングコーヒーである。

 前にも書いたことがあるけど、ここに足が向けるのはパラゴンがあるからでもある。パ

ラゴンの説明はしないが一言で「でっかいスピーカー家具」と思えばいい。何しろ幅は約2.7m、重さはアップライトピアノと同じ270㎏程ある。でかく重いのだ。

日によってジャズ、軽音楽、クラシックなどの曲をマークレビンソンのアンプで鳴らしている。レコードが合っていると思うけど手間がかかるからだろうソースはCDだ。

いつもBGM的に小さめな音で鳴っていて、その高級な装置の良さが発揮されていないを残念に思っていたが、その日は結構な音量、それもクラシックが店内に充満していた。主にピアノソロで当たり前のこと、いい音だ。

 コーヒーはサイホンで淹れてくれる。料金はワンコイン、つまり「コーヒー付きパラゴン」か「パラゴン付コーヒー」か、どちらにしても悪くない。もともとコーヒーの味も音楽の好みも個人的・雰囲気的でアバウトだ、いいと思えればそれが一番だ。

 自分にはコーヒーショップに限らず行きつけの店はないけど、数か月に1回程度とはいえ立ち寄るこの“喫茶店”は行きつけの場所といえるのかも知れない。コーヒー&パラゴン出来る朝、正に平和な時間である。平和に勝る安寧はない、来月も

再来月もワンコイン クラシックに出会えればと思うのである。

最後に本日の推奨曲、モーツアルト「ヴァイオリン協奏曲 第3番・第5番」の2曲である。モーツアルトなんと19才、天才の若さたぎる旋律は聞く者の気を躍動させるに違いない。気が向いたら第一楽章だけでもYouTubeでいかが!

 

 


紅葉と城と冬支度

 

11月になっても真夏日とは、冬のない三季になるのかと危惧するものだ。とは言え太陽を365日で回る公転が変わることはないので季節はめぐる。先日信州松本へ行って来た。鎌倉から中央高速、長野道で4時間程のドライブである。

トンネルは少なく山の間を縫って走るので起伏と曲がりの多いのが中央道だ。その最高地点(標高1015m)を示す標識が小渕沢ICを過ぎたところにある。面白いものでこの標高に近づくと左右の山々の木々が赤茶、黄色、紅と変わっていく。気温が例年より高く、植栽や動物異変が起きても季節はめくるめく証である。

松本の象徴は城である。日本の北から南まで城はいくらもあるが、天守閣のあるのは12城だけ、そのうち国宝天守の城は5つしかない。その一つは言うまでもなく松本城である。ちなみに他は犬山城、彦根城、姫路城、松江城である。

何故松本かというと孫が今年から松本住まいとなったからである。紅葉と城の話は前書きの話である。松本は「三ガク都(岳都・楽都・学都)」と呼ばれる故もあってか、落ち着いた雰囲気は大いに気に入っているが、問題は間近かに迫った冬の厳しい寒さである。松本は盆地でもあり降雪は少な目だけど朝は氷点下となり、最高気温も45度にしかならない日も多いとか、およそ鎌倉ではありえないのだ。

 

現実の暖房問題、冬支度である。部屋が大きめでエアコン、石油ストーブは用意したが光熱費が問題だ。和室があるので、ここで最も省エネと言われる暖房機“コタツ”の登場となる。新規に買わず、今使っている長方形のテーブルをコタツにすることにし、コタツヒーターを購入した。

そこでコタツ板作り、久々の木工である。とは言えコタツ板は単なる板なので木工と言えるかどうかは疑問だが、リバーシブルとして表は縁付メープル色、ウラは縁無しオールナット色の仕上げとしてみた。どっちが表で裏か分からないけど。

これで一応冬支度は終わり、寒い日はコタツに入って温かいインスタント食でも腹に入れれば松本の厳冬を過ごせるだろうとは思うけど、どんな寒さなのか分からない。

そして冬を超え犀川湖畔の桜見となれば、一年巡りとなる。めでたしめでたしだ。


三宅健一 ミヤケ ケンイチ 1945年、東京都生まれ。

木工作は、上手い下手は別として40年余り続いてきたのは驚きというほかありません。続けてられたのは木工が好きというのは勿論ですが、作るものがあったということでも一因なのです。毎回何を作るか考える、それが最も大切なことかも知れないと思う昨今です。